全く関係ない二つですが、
私があることに考え悩んでいるうちに、
この二つが繋がってしまいました。
このブログをいつもお読みくださっている方なら、
それがどのように繋がったのか、
きっと、すぐに推測がつくのではと思いますが、
補足も兼ねて、一応説明しておきたいと思います。
少し長くなりますので、
お急ぎの方は、どうぞ、お時間のある時にお読みください。
私が考え悩んでいたこととは東北の将来のことです。
3.11の大震災のあと、
お店も問屋も被災して、地元の方の買い物ができるところがない中で、いち早く移動店舗などを投入して店を開き、とても重宝されたのはコンビニでした。そして今、コンビニ各社は現地への出店攻勢にしのぎを削っています。
また、さらにその背後で出店を狙っているのは、イオン、イケヤを代表とした、大規模化と効率化とを進めて成功し、大きな資本力を誇る量販店です。
長年地元で商売をしてきた方々が立ち直る前に、そういった大資本が、流通と市場をさらっていこうとしています。
確かに、何も商店のないところに、
そういったお店がいち早くできることは、
地元の方々にとっては嬉しいですし、必要なことです。
しかしながら、そういった店舗で買い物した場合、
そこで支払ったお金のほとんどは、そこで働いている人たちの賃金を除けば、多分9割以上は地元を素通りして、地域の外に行ってしまいます。
雇用という点で見れば、わずかその店に関連するパート店員の雇用しか創出されません。
ただでさえ弱含みだった東北の地域経済は、ますます弱体化し、地域の方々の生活が将来的に不安定化してしまうのが目に見えています。
仮に、商売の立上げに時間がかかったとしても、生活に必要な身近なものを地元で作り、そういった地元の食材や商品を売るお店ができたなら、お店で支払われたお金は、地元の生産者、中間業者、消費者の間を何度もめぐりめぐることになり、コンビニや量販店に比べて、はるかに高い経済効果と地域の雇用を生み出していくはずです。
もっとも、震災の現場では、
そのような悠長なことを考えている場合ではないでしょうし、世間全般に、便利さと経済性を最優先する空気感が強いことから、コンビニ、量販店の進出のほうが正解とされ、喜ばれるわけです。
まさに、近年言われているショック・ドクトリンのような展開です。
先日、岩波書店から、
カナダのジャーナリスト ナオミ・クラインさんが書かれた、「ショック・ドクトリン」の翻訳本が出ました。
この本の主題は、
経済と効率優先の考え方が、大きな災害や経済パニックが契機となり、さらにそれが強まるというものです。
岩波書店
こういった流れを陰謀論とする主張もあります。
陰謀論として片づけてしまっては、
問題の本当の本質を見誤ってしまいます。
これではスターウォーズの中で、
「悪」と「味方」が分かれ、
分離主義の極の化身である帝国軍やその首謀者を討てば、宇宙には平和がよみがえるといった、
短絡的な幻想を追い求めているのと同じです。
仮に帝国軍や首謀者を討ちとったとしても、
気を許す間もなく、
また似たような勢力が次々と生まれてきます。
そういった勢力がいたから、平和が失われたのではありません。、
そのような勢力を育む土壌があったからこそ、
そういった勢力が増殖してしまったのです。
その土壌というのは、
私たちの心であり、価値観であり、物事の考え方です。
一人一人の意識が集まり、
それが社会を形作る原動力となり、
そして、一定の勢力を生み出していくのです。
そういった勢力は、
「私たちの心を餌に生きている」と言っても過言ではないでしょう。
「敵」と「味方」とを分けようとする価値観も、
根深い問題を持っています。
これはスターウォーズの映画だけに係わる問題ではありません。
日本でも昭和40年代以降、月光仮面や鞍馬天狗を皮切りに、
「悪」を仕立てあげ、
自らは正義となって「悪」を討たなければならないという価値観で作られた、アニメやメディア、小説、映画が、次々に社会に登場し、この半世紀の間に世界中に氾濫してしまいました。
今日も世界中で、
子供たちがそれらを夢中になって見て、
それが正しい価値観だと思い、育っていることは、
私も一人の親として、とても危惧するところです。
多くの人がそういった、
「敵」と「味方」、「いいもの」と「悪いもの」
といった具合に分離する価値観をもっていると、
社会は時として極めて危険な事態となってしまいます。
あの9.11後のアメリカがそうでした。
アルカイダやオサマ・ビン・ラディンを敵に仕立て上げ、
膨大な軍事費を費やして戦争をはじめることに、
多くのアメリカ国民が何の疑問も持たずに賛同したように、
ものすごく短絡的な幻想に、人々はいとも簡単に惑わされてしまうのです。
こういった、
便利さや効率、経済性を最優先する考え方や、
敵と味方と分離する考え方などは、
今の社会を形作っている根幹と言っても良いでしょう。
現在、多くの人々がこういった価値観、考え方を支持していますが、
このままいけば、人々の分離意識はますます強くなり、
暮らしはますます経済に縛られるようになり、
一握りの人の自己満足と大多数の人の不幸とが生み出される社会となっていくでしょう。
どこかで、これに歯止めをかけなければなりません。
自分が考える理想に向けて、
社会を変えようとするのは一種の暴力です。
社会が新たな段階にシフトしていくには、
一人一人が自ら大事なことに気づき、
自ら変わるしかないのです。
まだ気付いていない人に対して、
自ら気づき、自ら変わっていくきっかけを作ってあげるのが、
先に気づいている人たちの役目でしょう。
1990年代に私が環境問題に取り組んでいたころ、
まだ世の中は「エコロジーってなに?」
「個人で取り組んでも社会は変わらないよ~」
といった風潮でした。
本当に社会に環境意識が目覚めるのだろうかと、
半信半疑になったころもありました。
しかし、それから10年たって、
アルゴアさんの“CO2温暖化”戦略もあって、
世間の環境意識は驚くほど高まり、
今や先進国では、環境と経済とは同じ程度の優先度となりました。
それと同じように、
きっとこれから10年から20年くらいかけて同じようなことが起こると思います。
最初は少数の人から、そして社会全体へと、
何事を考えるにも、
全ての人と生命が、安定で幸せな暮らしができることを優先して考える空気が高まってくると思います。
次の20年の変化には、高い人間性と精神性をもった推進役を必要とします。
今、私が気になっている人の一人に、この課題に取り組み、世界を駆け巡っている人がいます。まだ日本ではほとんど知られていません。
また、機会を改めて、ご紹介したいと思います。
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