社会の中での自由とは・・・


大統領選も最終段階に入っています。
お互いに支えあい、共存共栄する社会を理想とするオバマ氏と、
自由競争を促進し、勝者生存の論理で、
勝者となって、弱者を踏み台にして生き抜こうという考え方のロムニー氏と、
みごとに対照的な候補が競い合っています。

しかも、支持率が半々と言うのも、
今のアメリカの世相をよく現しているように思います。

現代の社会において、ものすごく多くの人が、
「自由」というものを拡大解釈して理解している感じがします。
「自由」は、心や精神の自由であって、
物質世界の完全な自由を意味するのではありません。

ご存知の方も多いと思いますが、
トマトを、生育に対する阻害要因を一切なくした特別な環境の中で育てていくと、
トマトは、数え切れないくらいの実をつける巨大な木にまで生育できます。

ですがこれは自然界の中では決して起こりません。
それは、周囲の環境の中の様々なものが抑制因子となり、
トマトが大きくなるのを妨げているからなのでしょう。
つまり、自然界の中では、
お互いがお互いを支えあっている代わりに、
ある程度、お互いが抑制し、
ある意味で、譲り合って生きていることから、
この地球は、多様性に満ちた、安定した自然界が維持されていると考えられます。

同じように、私たちが、
お互いにお互いを支えあう幸せな社会を作るためには、
自由経済ばかりを求めては実現しません。

実はシュタイナーも似たようなことを書き残しています。
シュタイナーと言うと、
社会を経済生活、法生活、精神生活の三分節化した考え方で知られていますが、
彼は、自由、平等、博愛との関連で、

経済生活には博愛、
法生活には平等、
精神生活には自由、
が求められ、自由は必ずしも、経済生活や法生活に当てはまることではないという考え方をしています。

アメリカ大統領選で自由経済を推し進めるロムニー候補が勝とうものなら、
世相は過去のブッシュ時代と同じようになっていき、
誰もが平安に暮らせる社会への変化はずっと遅れることでしょう。

日本においても、
民主党、みんな、維新といった、自由経済を推し進めようとする政党が政権を握るなら、
同じようなことになりそうです。

ちょっと気になるこのごろです。

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