2013.09.01 06:42心の傷を“癒す”しごと日本人で中国の天安門事件に遭遇した人はいれども、あの文化大革命を直接経験した人は殆どいないはず。ところが、その文化大革命の時に中国に住み、あの騒乱の被害者として巻き込まれた日本人がいたことに驚きました。しかも知り合いの女性。妻の古い友達である佐藤真由美さん。私たちがイギリスに留学していた時に、丁度ロンドン郊外に住んでおられていて、とてもお世話になった方です。シューマッハカレッジや八ヶ岳にも、何度か遊びに来てくれたこともあります。その彼女が最近出した本がこれ。解放出版社東ベルリンで生まれ、中国で育ち、その後に日本に。有名国立大医学部に入ったものの、退学して米国の大学、大学院に留学。その後、彼女の類まれな才能と行動力とが導いた、航空関係の仕事から、国際NG...
2013.03.16 07:33「豊かさ」のバランス ~ 三側面の豊かさを考える一般的に、暮らしの豊かさというと、経済的、物質的な豊かさのことを意味することがほとんどです。その、物やお金こそ豊かさの象徴とする価値観は世の中の空気の中にいまだ色濃く存在します。すでに江戸時代において、暮らしの中に占める貨幣の比率は高かったものの、明治以降に国を挙げて西洋化をめざしてから、共同体的な暮らしは急速に崩れ、人々はお金がなくては暮らせなくなっていきました。その為、経済活動を活発化させて、人々の懐具合を良くすることこそ、豊かで、幸福であることの基本と考えられるようになりました。しかし、その考え方に沿った諸活動の影で、まるで薬の副作用のように、多くの問題点が表面化してきました。現代においても、マクロな視点においては、まだまだ経済発展をしていかない...
2013.02.26 11:17Work-Love Balance以前にスイスのシュタイナー学校の先生をされている方と、お話しする機会がありました。スイスでも、小さな子供を持つ世帯で、経済的な理由から、共働き夫婦が増えているとのこと。子供がまだ小さいうちは、十分な親の愛情が必要なのですが、年々、それがなかなかできない家庭が増えており、子供の成長に影響を及ぼしているのだそうです。私は教育者や心理学者ではありませんが、自分の経験や今まで出会ってきた人たちを見てきた中で、子供時代にどのように愛が与えられてきたかということと、その人が大きくなってからの性格とは、とても深く関連しているように思えてなりません。本当の愛に十分に包まれて育てられた子供は、大人になると、やさしさに満ちた人であるのみならず、不安や恐れや、思い込みにあま...
2012.12.19 13:54Love and Care ~ ものを愛し、大切に使う暮らし後味の悪かった総選挙のお口直しに、フィナンシャルタイムズがクリスマス前に読んでと掲載したコラムをどうぞ。~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~The most precious gifts/ By Harry Eyres(意訳)果てしない慾望のまま消費を続け、いらなくなったら放り捨てる現代の唯物主義社会。でも、本当の豊かさは、そういうものではないはず。私たちは、物と人との関わり方を変えたほうが良いのかもしれません。ものを愛し、大切に使う暮らし。私たちの数世代前の時代にはあたりまえのことでしたが、それが薄れてしまった今、もう一度、その、物と人との関係を取り戻すことが必要かもしれません。そこには、単なる“物”ではない、時間を越えたつながりと、あなただけの特...
2012.08.22 12:21老子 ~ 理想の国のすがた先日、竜河氏と会う機会があり、彼に触発されて、久しぶりに老子の本を開いたところ、その中に理想の国の姿について書いてある詩があるのを思い出しました。昨今の、新しい社会作りにむけた様々な活動の中で、地域共同体、ローカリゼーション、地域通貨、伝統の復活といったキーワードが踊っていますが、それらのキーワードの全てが、この老子の第80章の「獨立」という詩に詠われています。詩の中に、文明の利器に頼らない暮らしについての記述がありますが、E.F.シューマッハが唱えた「中間技術」の考え方にも通じます。この老子の世界は、シューマッハの考え方と根底を一にしていると言っても過言ではありません。中国で中国古典に子供のころから親しみ、その真髄を知っておられる竜河氏の訳があれば良...
2012.08.01 12:09ビジネスの大きな変化の始まり数日前、ちょっと嬉しい記事を見ました。私がまだ若かったころに憧れの仕事人だった方。今やデザイン界、マーケティング界の重鎮でもある、谷口正和さんのブログです。谷口正和氏~発想の画帖「社会を創造するマーケティング戦略」私なりに行間を推測しながら短く要約すると、これまでの「予測する」ことを主体としていたマーケティングから、社会的な視点に立って、生活者を主人公とした、あるべき社会を「創造する」マーケティングへの転換が必要とのこと。マーケティングの役割が変わるといった内容です。先日、私が書いた「共通価値」「社会価値」と同じような流れの内容です。私にとってのカリスマの方が同じような考えであることを伺い知って、何となく安堵感のようなものを感じます。谷口さんというと、...
2011.05.26 00:12そして次の一歩へ先日の「幸せの経済学」上映会&ダイアローグカフェに関して、司会をしてくださった未来をつくるオーケストラの細田さんから、今後のことについて月曜日の記事にコメントの形で投稿をいただきました。***細田さんコメントここから******************* 細田です。日曜日はお疲れさまでした。 いろいろな反応も含めて、意義のある上映会だったのだと思っています。 ボランティアとして事前の準備や当日サポートしてくださった方々があの場にいらした意味、地元八ヶ岳エリアから参加された方々が期待していたもの、そして遠方より駆けつけて下さった方々の想い、きっと様々だったのだと思います。 さて、次の一歩をどこに踏み出すのか? 考え込んでしまって、立ち止まったままでもいけ...
2011.05.23 14:06上映会の報告と御礼&この映画の本当の価値とは昨日の「幸せの経済学」上映会&ダイアローグカフェは、いろいろな方のお蔭で無事に開催することができました。東京、神奈川、埼玉、長野など遠方からもおいで下さり本当に恐縮です。わざわざ来て下さった甲斐があったかどうか、ちょっと私としては不安なのですが、いろいろと至らなかったところは、どうかお許しください。今回、会場が料金を徴収できない場所で自腹覚悟での開催だったのですが、カンパを募らせていただいたところ、皆様のご理解とご協力のお蔭で、我が家の出費をかなり抑えられるくらいにカンパをいただき本当に助かりました。また、受付から託児、ドリンクサービスまで、いろいろとボランティアスタッフの方にはご協力いただきました。本当にありがとうございました。ダイアローグカフェは結...
2011.05.16 14:11新しい地域の生活共同体産業革命以前の暮らしは、地域ごとに自律した経済と生活が成り立っていたと考えられます。それはその地域の土地や気候などの自然環境に対して、高度に適応し、持続可能な暮らし方を確立していました。比較的、ここ数十年前まで、アジアや南米などの多くの地域には、そういった暮らし方が残っていましたが、急速な近代化によって、あっという間にそれらの多くが消え去っていきました。一方、欧米においては、早くにそういった暮らし方は消えたものの、様々な問題を抱える近代化の流れからやや距離をおいて、独自の共同体の設立が各地に起こっていきました。かつてはその多くが宗教に関わるものでしたが、1900年代半ばごろから、各種のコミューンやエコビレッジなどの、環境や平和など理念中心の共同体が出現...
2011.05.07 03:00幸せな社会を目指すにあたって八ヶ岳での「幸せの経済学」の上映会のお申込みですが、各方面に拡散してくださったシャロムヒュッテの臼井さんのお蔭で(あらためて、ありがとうございます)順調です。地元はもちろん、東京、埼玉、長野方面からわざわざいらして下さる方もあり、心より感謝申し上げます。上映に先だって、配給会社から送られてきた試写版を見ました。全体としてよくできているとは思いますが、少し心にひっかかるところもありました。このブログを通してお申し込みをされた方もおられますので、私の責任上、その点について、前もってお伝えしておこうと思います。監督のヘレナ・ノーバーグ・ホッジは研究者というよりは活動家です。従って、彼女は世間にインパクトを与えて社会を「変えて」いくことが仕事です。「変えて」行...
2010.07.29 14:23八ヶ岳の夜に、ひとり想う車の音も、電車の音も、テレビの音もしない、八ヶ岳の夜おそく。猛暑が続く愛知県の仕事場から、3時間かけて深夜に車を飛ばして帰ってきた私は、見慣れているはずの我が家の庭先で、いつもとは少し違う、幻想的な光景を眺めていました。満月が、澄んだ空気の向こうに、くっきりと大きく姿を現しています。黒々とした、広大で深遠な宇宙の空間の中で、はるか遠くにある無数の星たちに見守られながら、月と地球だけが、寄り添いながらぽっかりと浮かんでいるのが感じられます。その地球側の一点に、いま、私が立っています。私の周りでは、月の青い光が、木々や草花にほのかにあたり、ぼんやりとそれらの輪郭を浮かび上がらせています。葉の上のところどころが、虫の甲羅か、水滴かわからないけど、キラリ、キラ...
2010.06.14 13:22糸川先生+「はやぶさ」+ワールドカップ=アフリカの平和2003年ごろだったと思いますが、小惑星に糸川先生の名前が付いたときは、実にめでたいことだと思いました。しかし、糸川先生の設計した戦闘機「隼」の名をそのままもらった人工衛星が、その小惑星めがけて弾丸を撃ち込む実験をすると知った時には、なんて糸川先生に失礼なことをと思ったのを思い出します。そのせいか、「はやぶさ」は次々とトラブル続き。星となった糸川先生が、後進の科学者を鍛えるがごとく、試練を与えたかのような出来事でした。でも、最後の最後は、実に美しい流星の天体ショーを見せていただき、そして、衛星をアボリジニの聖地に着地させたところは、糸川先生ならではの、心意気のようでした。もう、糸川先生を知る人も少なくなりました。私が大学生の時に、先生とともに学生と若手...