一昨日までの寒気は去ったようで、
今日は風のない、うららかな一日でした。
日中は外でもセーターなしで、
すごせる陽気でした。
両親の家に行ったところ、
昨日の夜のゴールデンタイムに、
とても面白い番組があったので、
つい遅くまで起きて見てしまったとの話。
その番組は、アメリカのイロコイ族の、
ドキュメンタリーだったそうです。
この部族はアメリカの建国に非常に重要な役割を果たし、
アメリカ合衆国憲法、のちの日本国憲法の起案にも、
大きく影響したのだそうです。
一般に、多数決は、
民主主義の象徴のように考えられています。
「多数決で決めるのだから、
文句の言いようはないだろう」
といった考えが、
大多数の人々の脳裏に、
しっかり刷り込まれています。
しかし、実は、
多数決=民主主義
では決してありません。
多数決は、多数派による少数派に対しての、
数の暴力といえる、
極めて危険なものです。
この数の暴力のために、
日本だけでも、
これまで幾多の悲しい出来事が、
あったことでしょう。
それは、今日も続いています。
本来は、全員の合意を求めて最善をつくすものです。
昨夜のドキュメンタリーにも出てきたそうですが、
この部族で大事なことを決める際には、
全員の合意を前提として、
その合意に至るまでは、
全員の「対話」を続けるのだそうです。
「対話」は、私たちが日常に使っている意味での対話ではなく、
このブログでも先日書いた「真の対話」のことです。
そういえば、
私が関わっている会社の定款を作ったとき。
取締役会の決議は、
全員の合意が必要であるとしました。
その時、共同設立者の関係者からは、
一般的な多数決に変えたらどうか、
と言われましたが、
自分の会社が民主的でなくては、
社会のための仕事はできないことから、
これだけは通してもらうことにしました。
最終的に、国会も、国連も、
多数決ではなく、
全員の合意にすべきと、
私は真剣に考えます。
大人数の場合、
どのようにしてその全体の合意を形成していくか、
その方法は、自然界のしくみのなかにヒントがあります。
それは、また別の機会に書きましょう。
ちなみに、自然界に「多数決」というものはありません。
もし発見されたらイグノーベル賞ものでしょう。
また、多数決でものごとが決まる社会は、
本当のエコロジカル社会にはなりえない、
といっても過言ではないと思います。
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