何を頼りに生きるのか



一人の人間として、仕事を通じていろいろなことに関わり、
また、生活のうえで様々な場面に遭遇し、
そこでいろいろな判断をしなければなりませんが、
そのときに、私たちは何を頼りにするでしょう。

私はもちろん、全ての人にとって、
それは、一生涯にわたって追い求めるものかもしれません。

ただ、その過程で一つ言える事は、
その判断の源になるところは、
食べることにしても、医学にしても、
農業、教育、子育て、芸術、宗教、科学も、
そして日々の暮らし方や、社会のあり方も、
全てある一点に限りなく収斂していくこと。

それを、
ディープエコロジーのアルニ・ネスさんは、
エコロジカル・プラットフォームと呼び、
天外伺朗さんは、
ディープ・グラウンディングと呼ばれています。
また、ある方は「普遍意識」とも呼ばれます。
しかし、どれもなかなか一般的には通じませんし、
とてもイメージしにくい言葉ばかりです。

とはいえ、
私は、愛知県の仕事の量が増え、
かなり頻繁に八ヶ岳と愛知県を往復する生活をしていますが、
役所がらみの仕事や、種種雑多な考えの人々の狭間で、
いかにして自分の判断を曇らすことなく、事を進めていけるかが、
いま最も気を使うこととなっています。
少なくとも、単に合理性だけに頼った判断や、
噂や人の話だけで判断することだけはしないように、
注意を払いたいと思います、


ところで、
日曜日から昨日までネットが使えない環境だったので、
投稿も、コメントのチェックも出来ていませんでしたが、
今日から再開しました。

以前の記事「マクロビオティックとローフード」に、
ひよこ豆ゆきこさんからコメントを頂きました。
ありがとうございました。

世の中、様々な食事法が出回っています。
本当にどれがよいのか、その答えは難しいのですが、
やはり、食べるものとその人の身体と心というものは、
密接に相互的に関わっている事から、
もっともっと、そのあたりを突き詰めることが、
必要なのかもしれません。

以前に次のような伝説を読んだことがあります。
その昔、ある仙人がいて、
彼は松の葉と実を食べて、何千年も生きていました。
しかし、(何がきっかけだったか忘れましたが、)
その仙人が穀物を食べるようになったところ、
仙人はみるみる老けていき、死んでしまったというものです。

本当のことかどうかは分かりませんが、
私自身は、ありえる話と思っています。

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