ちよっと寄り道


今週は、生命システム、自然生態系に沿った新しい社会について書く予定ですが、今朝のニュースを見て、いくつか書き留めておきたいことが出来たので、ちょっと寄り道させていただきます。

まずひとつめは、アメリカのホワイトハウスが発表した今朝の声明。

環境活動家や環境に関心のある人々の間で支えられてきた、毎年4月22日に行われる環境イベント“The Earth Day”に対して、オバマ大統領が自ら声明文を発表し、より環境を重視した社会の形成の推進を訴えました。

かつて、環境活動家やエコロジストは、
どちらかというと社会の亜流でしたが、
もはやその観念は早々に捨てた方がよさそうです。
とても嬉しい変化です。

もうひとつは、小学校に学級委員が復活したニュースです。

というより、22年前に、平等を阻害するからといって、学級委員を小学校では無くしてしまっていたことが、私にとって、ちょっとショッキングなニュースでした。

当時の文部省は、一体、何を平等と考えていたのでしょうか?
学級委員をなくして、平等の考えが育まれるようになったのでしょうか?
むしろ、この20年の小学校の現場は、いじめ、学級崩壊、学力低下と散々なことになりました。

小学校によるかもしれませんが、少なくとも私のいた小学校では、学級委員というのは、役所や会社の○○長とは違い、権力や権利とは無縁で、決して平等を阻害するものではなく、むしろ、今で言うソーシャル・コーディネーターのような、学級の秩序を維持し、良くすることへのシンボルであり、その「推進役」を担うものでした。

学級委員という存在があったからこそ、学級を良くする為に皆で話し合い、相互の理解と協調性とを養うことが促されていたと思います。学級の調和を乱す行為や、陰湿ないじめがあったときも、皆で話し合う機運が生まれ、協力し合うことができました。

まさに、これからの社会で必要とされている、コミュニティーづくりの基礎演習をしていたようなものです。6年間、毎日そういった環境にいるわけですから、人間形成における影響は大きかったと思います。いま、有料で教えているファシリテーターの技術を、じつは小学校から自然に実につけさせていた、といっても良いでしょう。

現に、なんとなく感じる、社会全体を覆う、
個人主義の増加や協調性の希薄化は、
様々な社会構造やメディアの問題が絡み合っているものの、学級委員を廃止したことも、ひとつの大きな要因であったのではないかと私は推測します。
また、学級委員を過去22年間にわたって行ってこなかったことは、社会にとっても、大きな損失であったのではと思います。

ほぼ毎年、学級委員をやっていた私は、
それにまつわるいろいろな思い出があります。
ちょっとハメをはずしてしまうと、
「学級委員のくせに何やっているの!」
とよく友人たちから怒られたりしました。

学級委員もいろいろですが、ただ、少なくとも、
クラスの皆の気持ちを、お互いに結び付ける基となっていたのは、間違いのない事実です。

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