Tolerance = 寛容
私が好きな言葉の一つです。
同時に、今の社会に最も欠けているものの一つでもあります。
先日、NHKのニュースを見ていたら、
4月に亡くなられた免疫学者の多田富雄先生が、
すでに動くことも話すこともできない状態の中で、
特殊なキーボードを使って、この世の人たちに伝えたかった、
最後のメッセージが放映されていました。
多田先生が伝えてくださった、
最後の短いメッセージは次のようなものでした。
「長い闇の向こうに、
何か希望が見えます。
寛容の世界が広がっている、予言です。」
多田先生が研究しておられた免疫学の中に、
非自己であったものに対し、自己がそれを許容していくという、
免疫寛容現象というものがあるそうです。
生命現象を追及していくと、
厳格な自己、非自己の対立では生命は機能せず、
そこには必ず、他を受け入れるという寛容があるということを、
きっと多田先生は、一つの生命の原理として見ておられたのかもしれません。
地球生命系の一部である人類においても、
その原理が当てはまるはずであり、
寛容の無い、対立の世界であっても、
いつかは必ず、他を受け入れることのできる、
寛容さの溢れる時代が来るだろうことを、
多田先生は、予言という形にして、
伝えられたのだろうと思います。
物質的な生命体は、
常に外の世界との協調関係の中で、
自分を創り上げる自己組織系という特徴をもっています。
そのプロセスを動かしていく要が、
お互いに相手を受け入れるという寛容なのです。
寛容と対になって協調のプロセスを動かすのが、
自分であるという主張をする自己=Selfです。
相手を受け入れる寛容と、自分を主張する自己との、
ちょうどよいバランスが、協調をもたらし、
それが自己組織的な生命体を創り、維持しているわけです。
私は以前から、
もし日本人の科学者でシューマッハカレッジに招聘される人がいるなら、
それは多田先生くらいであろうと思っていました。
多田先生の研究は、
常に個と全体との関係に着目し、そこから重要な洞察を得ている点で、
まさしくホリスティック・サイエンスと言ってもよいでしょう。
先生が残した予言は、
単なる希望的な予想ではありません。
超一流の科学者が、科学者の直感(intuition)でもって確信した、
人類の、なるべくしてなる未来なのです。
私が好きな言葉の一つです。
同時に、今の社会に最も欠けているものの一つでもあります。
先日、NHKのニュースを見ていたら、
4月に亡くなられた免疫学者の多田富雄先生が、
すでに動くことも話すこともできない状態の中で、
特殊なキーボードを使って、この世の人たちに伝えたかった、
最後のメッセージが放映されていました。
多田先生が伝えてくださった、
最後の短いメッセージは次のようなものでした。
「長い闇の向こうに、
何か希望が見えます。
寛容の世界が広がっている、予言です。」
多田先生が研究しておられた免疫学の中に、
非自己であったものに対し、自己がそれを許容していくという、
免疫寛容現象というものがあるそうです。
生命現象を追及していくと、
厳格な自己、非自己の対立では生命は機能せず、
そこには必ず、他を受け入れるという寛容があるということを、
きっと多田先生は、一つの生命の原理として見ておられたのかもしれません。
地球生命系の一部である人類においても、
その原理が当てはまるはずであり、
寛容の無い、対立の世界であっても、
いつかは必ず、他を受け入れることのできる、
寛容さの溢れる時代が来るだろうことを、
多田先生は、予言という形にして、
伝えられたのだろうと思います。
物質的な生命体は、
常に外の世界との協調関係の中で、
自分を創り上げる自己組織系という特徴をもっています。
そのプロセスを動かしていく要が、
お互いに相手を受け入れるという寛容なのです。
寛容と対になって協調のプロセスを動かすのが、
自分であるという主張をする自己=Selfです。
相手を受け入れる寛容と、自分を主張する自己との、
ちょうどよいバランスが、協調をもたらし、
それが自己組織的な生命体を創り、維持しているわけです。
私は以前から、
もし日本人の科学者でシューマッハカレッジに招聘される人がいるなら、
それは多田先生くらいであろうと思っていました。
多田先生の研究は、
常に個と全体との関係に着目し、そこから重要な洞察を得ている点で、
まさしくホリスティック・サイエンスと言ってもよいでしょう。
先生が残した予言は、
単なる希望的な予想ではありません。
超一流の科学者が、科学者の直感(intuition)でもって確信した、
人類の、なるべくしてなる未来なのです。
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