弟が教えてくれた、
東京から被災地にヘリコプターで急行し、
救援活動を行った看護師さんの手記。
涙なしには読めません。
お疲れ様でした。ブログをアップしてくださって、
ありがとうございました。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/e/94df7eade75508d8941e7b3c89203f57
メディアでは伝わらない、
被災地で過ごす方々や、
本当に懸命に支援活動をされる人々の、
想いと気持ちが伝わってきます。
母親を失った幼い女の子がいました。
その女の子は通っていた幼稚園から避難して助かりましたが、
母親は津波に飲み込まれてしまいました。
その母親が瓦礫の下から見つかった時、
母親は、その女の子が大事にしていた人形と絵本の入ったリュックサックを抱きしめていたそうです。
息が途絶える最後まで、子供のことを心配した母親の想いがひしひしと伝わってきます。
避難所は、電気も、ガスも、ガソリンも、薬も、食料も不足し、
普通なら当然あると思っているものがありません。
夜は暖房のない寒く隙間風の吹く真っ暗な部屋の床に横になるものの、
寝むれないうちに夜明けとなり、
再び、途切れることのない患者の世話が始まります。
充分な水が無く、残ったウーロン茶で顔を洗い、
着るものも、格好など気にするどころではなく、
とにかく皆で生きるために、
全てをささげる日々だったようです。
しかし、この看護師さんは、
悲惨な体験と過酷な環境の中での避難生活をされるうちに、
単に被災者への同情からではなく、
東京へは帰りたくない、皆と一緒にここに留まりたい、
と思うようになったそうです。
東京に戻れば、モノや情報が満ち溢れた生活が待っているはずなのですが、むしろ、その生活に疑問を感じたのだそうです。
避難所には何もないけれども、そこには充ち溢れるほどの人の優しさがありました。
お互いに助け合い、励まし合い
譲り合い、奉仕し合いながら、
皆で支え合っている生活です。
そして、自分のことよりも人のために、
懸命に働く人々が集まってくれています。
これまで感じたことのなかった、
多くの人の温かみと優しさを、
はっきりと、強く感じることができたのでしょう。
これは、悲しいことに、
今の時代においては、
悲惨な災害でもないとなかなか見ることができない奇跡です。
多くの方が言われているように、
今回の大災害は、
本当に豊かな生活とは何なのかということを、
生きるということはどういうことかということを、
私たちは一体何を大事に生きていかなければならないのかを、
如実に教えてくれています。
幸い、死なずに生かされている私たちが、
これからやらなければならないことは、
被災地で見ることのできた奇跡を、
その場限りとしてではなく、常に当たり前のこととして、
ごく日常の、私たちの暮らしに実現していくことではないでしょうか。
そして、自然と調和しながら、
過度にテクノロジーやグローバルな流通に頼ることなく、
近くにいるお互いがお互いを密接に支え、
それにより、本当に安心できる生活を実現することこそ、
私たちの役目であり、使命だと思います。
原発を今後どうするかも、その中で決めていくことになるでしょう。
その実現は、津波に流されていったあの母親がわが子を想う先にある、
わが子に、真に豊かで安心できる社会に暮らしてほしいという、究極の願いでもあるに違いありません。
私たちは、そろそろ、お互いに他人であることを止め、
一つの大いなる命を分け合って生きている同志として、
支え合い、助け合い、分かち合う暮らしを実現していかなければなりません。
原発と化石燃料からの脱却も、
これなくしては全く不可能です。
安曇野のシャロムヒュッテの臼井さんは、
さすがに、いち早く行動に移されました。
http://shalomusui.blog90.fc2.com/blog-entry-1291.html
私も皆も、いざ行動しなければなりません。
東京から被災地にヘリコプターで急行し、
救援活動を行った看護師さんの手記。
涙なしには読めません。
お疲れ様でした。ブログをアップしてくださって、
ありがとうございました。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing/e/94df7eade75508d8941e7b3c89203f57
メディアでは伝わらない、
被災地で過ごす方々や、
本当に懸命に支援活動をされる人々の、
想いと気持ちが伝わってきます。
母親を失った幼い女の子がいました。
その女の子は通っていた幼稚園から避難して助かりましたが、
母親は津波に飲み込まれてしまいました。
その母親が瓦礫の下から見つかった時、
母親は、その女の子が大事にしていた人形と絵本の入ったリュックサックを抱きしめていたそうです。
息が途絶える最後まで、子供のことを心配した母親の想いがひしひしと伝わってきます。
避難所は、電気も、ガスも、ガソリンも、薬も、食料も不足し、
普通なら当然あると思っているものがありません。
夜は暖房のない寒く隙間風の吹く真っ暗な部屋の床に横になるものの、
寝むれないうちに夜明けとなり、
再び、途切れることのない患者の世話が始まります。
充分な水が無く、残ったウーロン茶で顔を洗い、
着るものも、格好など気にするどころではなく、
とにかく皆で生きるために、
全てをささげる日々だったようです。
しかし、この看護師さんは、
悲惨な体験と過酷な環境の中での避難生活をされるうちに、
単に被災者への同情からではなく、
東京へは帰りたくない、皆と一緒にここに留まりたい、
と思うようになったそうです。
東京に戻れば、モノや情報が満ち溢れた生活が待っているはずなのですが、むしろ、その生活に疑問を感じたのだそうです。
避難所には何もないけれども、そこには充ち溢れるほどの人の優しさがありました。
お互いに助け合い、励まし合い
譲り合い、奉仕し合いながら、
皆で支え合っている生活です。
そして、自分のことよりも人のために、
懸命に働く人々が集まってくれています。
これまで感じたことのなかった、
多くの人の温かみと優しさを、
はっきりと、強く感じることができたのでしょう。
これは、悲しいことに、
今の時代においては、
悲惨な災害でもないとなかなか見ることができない奇跡です。
多くの方が言われているように、
今回の大災害は、
本当に豊かな生活とは何なのかということを、
生きるということはどういうことかということを、
私たちは一体何を大事に生きていかなければならないのかを、
如実に教えてくれています。
幸い、死なずに生かされている私たちが、
これからやらなければならないことは、
被災地で見ることのできた奇跡を、
その場限りとしてではなく、常に当たり前のこととして、
ごく日常の、私たちの暮らしに実現していくことではないでしょうか。
そして、自然と調和しながら、
過度にテクノロジーやグローバルな流通に頼ることなく、
近くにいるお互いがお互いを密接に支え、
それにより、本当に安心できる生活を実現することこそ、
私たちの役目であり、使命だと思います。
原発を今後どうするかも、その中で決めていくことになるでしょう。
その実現は、津波に流されていったあの母親がわが子を想う先にある、
わが子に、真に豊かで安心できる社会に暮らしてほしいという、究極の願いでもあるに違いありません。
私たちは、そろそろ、お互いに他人であることを止め、
一つの大いなる命を分け合って生きている同志として、
支え合い、助け合い、分かち合う暮らしを実現していかなければなりません。
原発と化石燃料からの脱却も、
これなくしては全く不可能です。
安曇野のシャロムヒュッテの臼井さんは、
さすがに、いち早く行動に移されました。
http://shalomusui.blog90.fc2.com/blog-entry-1291.html
私も皆も、いざ行動しなければなりません。
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