1990年代後半のこと、
日本でも先見性のある方たちが、
欧米を中心に広まっていた地域通貨に関心をよせ、
自分達の地域で果敢に地域通貨を立ち上げられました。
最も早かった地域通貨が、
安曇野のシャロムヒュッテの臼井さんがされたハートマネー、
それに、八ヶ岳西麓の原村で風の森さんらが立ち上げられた地域通貨などでした。
少し遅れて八ヶ岳南麓の大福帳などがつづき、
その後、2000年代に入って、
地域にお金がとどまり、お金が外部に流出させずに、
地域内で循環させるようにすれば、
地域経済の再活性化の追い風になるだろうと、
ほとんどどの街にも、何らかの形で地域通貨ができました。
地域通貨の登場は、
お金と地域経済に対する私たちの概念を大きく変えてくれました。
その点だけでも、大きな功績があったと思います。
しかしながら、日本のみならず世界的にも、
地域通貨は、その後衰退していきました。
衰退した理由は複合的で、
また、それぞれの地域通貨によって理由は大きく異なってくると思います。
地域通貨は失敗だったのでしょうか?
いいえ、どうやらそうではなさそうです。
10年前に諸先輩方が築いてくださった、
地域通貨の思想を受け継ぐかたちで、
少し形を変えながらも再び登場してくる可能性があるようです。
しかも、今度は、
大自然の根底にあるしくみに近い形での、
エコロジカルな経済社会システムの要としてです。
地域経済や地域通貨の研究で知られる、
リチャード・ダウスウェイトが、
先日ご紹介した書籍、
「Grow Small, Think Beautiful」の中で、
その新しい通貨システム、
「リージョナル・カレンシー(通貨)」、
について書いてくれているので、
私なりに噛み砕いてご紹介したいと思います。
(尚、私は金融の専門家ではありませんので、
理論的なこと、技術的なことは、
専門家にお任せしたいと思います。)
さて、かつての地域通貨と、
新しいリージョナル通貨との大きな違いは、
新しい通貨は、流通の範囲を以前より広く設定し、
また、他の地域通貨と交換が可能であるということです。
一つのリージョナル通貨の流通範囲は、
近隣の風土、文化、産業構成の似通った地域を、
ひとつのくくりとするのが良いのではと考えられます。
例えば八ヶ岳近辺では、
原村、富士見、白州、武川、小淵沢~南牧村といった、
観光と農業を中心とした地域をひとくくりにして、
「八ヶ岳円」をつくるといった感じです。
「東京円」「千葉西部円」「房総円」「西三河円」「尾張円」など、
全国にきっと100以上の地域通貨ができることになるでしょう。
他の通貨と交換できるということは、
ドル円と同じように為替レートが存在します。
為替レートは、経済が好調な時は高くなり、
輸出が抑えられ、輸入が増加します。
逆に、経済が低調な時には輸出が増え、
好景気な地域からの買い入れや投資が増えて、
経済は活性化していきます。
導入の最初のうちは、
「八ヶ岳円」は「東京円」にくらべて、
かなり低いレートで取引されることになるでしょうが、
その差が大きければ大きいほど、
都会から地方への仕事の依頼や投資が増え、
逆に、地方から商品や農産物が都会に輸出されていく流れが強くなります。
次第に八ヶ岳の地域経済は活性化され、
事業所なども増えて、そこで働く人も多くなってくると、
いずれ「八ヶ岳円」と「東京円」の差は小さくなっていくはずです。
長期的な視点で見れば、
これは今も進みつつある都市への集中化を止め、
逆に地方への回帰を促す効果もあります。
つまり、リージョナル通貨には、
為替による国内の経済格差の自己調整機能が期待されるわけです。
日本国内にいろいろな通貨が混在すると、
ものすごくお金の扱いが煩雑になりそうですが、
基準は指標「円」で価格表示や企業会計等に用い、
決済は必ずリージョナル通貨で行うようにして、
その換算計算や地域をまたいでの取引は、
電子マネーや携帯やスマートフォンの技術を用いて、
日常的には煩雑な計算をしなくてもよいようにすれば、
利便性は担保できるのではと思います。
ところで、
この為替による経済格差の自己調整機能を、
人為的に放棄してしまい、
その結果、破産してしまった国があります。
ご存知の通り、ギリシャです。
ギリシャのように産業が弱い国の場合、
ユーロに加入してしまうと、
為替の自己調節機能の恩恵を受けられなくなり、
経済復活の推進力を大きく失ってしまいます。
まだ、ユーロ圏が一つの国であれば、
助成金だの補助金だの、特区だのと対策のすべがありますが、
今のように国ごとに分かれていると、
国境を越えてまではそれはできません。
ヨーロッパは、
通貨はユーロ、統治は国単位と、
統治と通貨の範囲が異なった、
まるでヤマタのオロチのように、
頭が八つあるにもかかわらず、胴体が一つといった、
怪物のようないびつな構造になっています。
従って、今回のギリシャ危機を教訓として、
いずれユーロは形を変えていき、
再び、国家単位に通貨をもち、
統治単位と通貨単位を合わせていくか、
或いはもしかしたら、
一気にリージョナル通貨へと転換していくのかもしれません。
この点で、日本でのリージョナル通貨の導入に関して、
一つの大事な条件が浮かび上がります。
導入に際しては、
国から地域に大きく権限委譲を行い、
地域が自律的に、その地域を統治できることが必要だということです。
自然界の生命システムの特徴として、
細胞がお互いに連携しながら組織を作り、
組織がお互いに連携しながら臓器を作り、
臓器や骨格、筋肉がお互いに連携しながら人体を動かしているように、
その微細な構造から、大きな構造にいたるまで、
入れ子的な階層構造で出来上がっているという特質があります。
人間がもし、巨大な単細胞だったとしたら、
それはほとんど動くこともできない、
虚弱な物体だったことでしょう。
しかし、30兆もの小さな細胞に分れ、
入れ子的な階層構造をもつことで、
人間は身体の自己調節機能を持ち、
恒常的で、俊敏で、かつ、長期間生きながらえることができています。
先のリージョナル通貨と地域分権的な社会統治とがもし実現したならば、
その社会構造は、
まさに、その生命の仕組みと一致してきます。
それはレジリアンス(しなやかな)経済社会を実現する、
美しい仕組みです。
この実現は、
「国のかたちを変える」一大事業になります。
そう簡単なものではないので、
相当な検討と議論が必要です。
日本でも先見性のある方たちが、
欧米を中心に広まっていた地域通貨に関心をよせ、
自分達の地域で果敢に地域通貨を立ち上げられました。
最も早かった地域通貨が、
安曇野のシャロムヒュッテの臼井さんがされたハートマネー、
それに、八ヶ岳西麓の原村で風の森さんらが立ち上げられた地域通貨などでした。
少し遅れて八ヶ岳南麓の大福帳などがつづき、
その後、2000年代に入って、
地域にお金がとどまり、お金が外部に流出させずに、
地域内で循環させるようにすれば、
地域経済の再活性化の追い風になるだろうと、
ほとんどどの街にも、何らかの形で地域通貨ができました。
地域通貨の登場は、
お金と地域経済に対する私たちの概念を大きく変えてくれました。
その点だけでも、大きな功績があったと思います。
しかしながら、日本のみならず世界的にも、
地域通貨は、その後衰退していきました。
衰退した理由は複合的で、
また、それぞれの地域通貨によって理由は大きく異なってくると思います。
地域通貨は失敗だったのでしょうか?
いいえ、どうやらそうではなさそうです。
10年前に諸先輩方が築いてくださった、
地域通貨の思想を受け継ぐかたちで、
少し形を変えながらも再び登場してくる可能性があるようです。
しかも、今度は、
大自然の根底にあるしくみに近い形での、
エコロジカルな経済社会システムの要としてです。
地域経済や地域通貨の研究で知られる、
リチャード・ダウスウェイトが、
先日ご紹介した書籍、
「Grow Small, Think Beautiful」の中で、
その新しい通貨システム、
「リージョナル・カレンシー(通貨)」、
について書いてくれているので、
私なりに噛み砕いてご紹介したいと思います。
(尚、私は金融の専門家ではありませんので、
理論的なこと、技術的なことは、
専門家にお任せしたいと思います。)
さて、かつての地域通貨と、
新しいリージョナル通貨との大きな違いは、
新しい通貨は、流通の範囲を以前より広く設定し、
また、他の地域通貨と交換が可能であるということです。
一つのリージョナル通貨の流通範囲は、
近隣の風土、文化、産業構成の似通った地域を、
ひとつのくくりとするのが良いのではと考えられます。
例えば八ヶ岳近辺では、
原村、富士見、白州、武川、小淵沢~南牧村といった、
観光と農業を中心とした地域をひとくくりにして、
「八ヶ岳円」をつくるといった感じです。
「東京円」「千葉西部円」「房総円」「西三河円」「尾張円」など、
全国にきっと100以上の地域通貨ができることになるでしょう。
他の通貨と交換できるということは、
ドル円と同じように為替レートが存在します。
為替レートは、経済が好調な時は高くなり、
輸出が抑えられ、輸入が増加します。
逆に、経済が低調な時には輸出が増え、
好景気な地域からの買い入れや投資が増えて、
経済は活性化していきます。
導入の最初のうちは、
「八ヶ岳円」は「東京円」にくらべて、
かなり低いレートで取引されることになるでしょうが、
その差が大きければ大きいほど、
都会から地方への仕事の依頼や投資が増え、
逆に、地方から商品や農産物が都会に輸出されていく流れが強くなります。
次第に八ヶ岳の地域経済は活性化され、
事業所なども増えて、そこで働く人も多くなってくると、
いずれ「八ヶ岳円」と「東京円」の差は小さくなっていくはずです。
長期的な視点で見れば、
これは今も進みつつある都市への集中化を止め、
逆に地方への回帰を促す効果もあります。
つまり、リージョナル通貨には、
為替による国内の経済格差の自己調整機能が期待されるわけです。
日本国内にいろいろな通貨が混在すると、
ものすごくお金の扱いが煩雑になりそうですが、
基準は指標「円」で価格表示や企業会計等に用い、
決済は必ずリージョナル通貨で行うようにして、
その換算計算や地域をまたいでの取引は、
電子マネーや携帯やスマートフォンの技術を用いて、
日常的には煩雑な計算をしなくてもよいようにすれば、
利便性は担保できるのではと思います。
ところで、
この為替による経済格差の自己調整機能を、
人為的に放棄してしまい、
その結果、破産してしまった国があります。
ご存知の通り、ギリシャです。
ギリシャのように産業が弱い国の場合、
ユーロに加入してしまうと、
為替の自己調節機能の恩恵を受けられなくなり、
経済復活の推進力を大きく失ってしまいます。
まだ、ユーロ圏が一つの国であれば、
助成金だの補助金だの、特区だのと対策のすべがありますが、
今のように国ごとに分かれていると、
国境を越えてまではそれはできません。
ヨーロッパは、
通貨はユーロ、統治は国単位と、
統治と通貨の範囲が異なった、
まるでヤマタのオロチのように、
頭が八つあるにもかかわらず、胴体が一つといった、
怪物のようないびつな構造になっています。
従って、今回のギリシャ危機を教訓として、
いずれユーロは形を変えていき、
再び、国家単位に通貨をもち、
統治単位と通貨単位を合わせていくか、
或いはもしかしたら、
一気にリージョナル通貨へと転換していくのかもしれません。
この点で、日本でのリージョナル通貨の導入に関して、
一つの大事な条件が浮かび上がります。
導入に際しては、
国から地域に大きく権限委譲を行い、
地域が自律的に、その地域を統治できることが必要だということです。
自然界の生命システムの特徴として、
細胞がお互いに連携しながら組織を作り、
組織がお互いに連携しながら臓器を作り、
臓器や骨格、筋肉がお互いに連携しながら人体を動かしているように、
その微細な構造から、大きな構造にいたるまで、
入れ子的な階層構造で出来上がっているという特質があります。
人間がもし、巨大な単細胞だったとしたら、
それはほとんど動くこともできない、
虚弱な物体だったことでしょう。
しかし、30兆もの小さな細胞に分れ、
入れ子的な階層構造をもつことで、
人間は身体の自己調節機能を持ち、
恒常的で、俊敏で、かつ、長期間生きながらえることができています。
先のリージョナル通貨と地域分権的な社会統治とがもし実現したならば、
その社会構造は、
まさに、その生命の仕組みと一致してきます。
それはレジリアンス(しなやかな)経済社会を実現する、
美しい仕組みです。
この実現は、
「国のかたちを変える」一大事業になります。
そう簡単なものではないので、
相当な検討と議論が必要です。
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