人が優しくなれる社会へ


昨晩から久しぶりに八ヶ岳に帰っています。
息子たちが2年ぶりに小学校の運動会に顔をだしました。
以前とかわらず、多くの人が暖かく迎えてくれます。本当に幸せな体験です。

もちろん、八ヶ岳のこの地域でも、
いろいろな人間関係や摩擦はありますが、
それよりも、どこか根本的なところに、
他人に対するやさしさがあることを感じます。
直接相手のことを知らなくても、
必ずその人のことを知っている知り合いが存在するといった、
比較的小さなコミュニティーであることが、
どこか、お互いを認め合える基本になっているのかもしれません。

今夜、息子が寝入る直前に、
街の人々にくらべて、八ヶ岳の人々は優しい人が多いね、
と、つぶやいて眠りにつきました。
たぶん、それは事実なのでしょう。

私は、街暮らしの人が優しくないとは思いませんが、
人間関係が希薄で、見知らぬ多くの人が行きかう街では、
その人が本来もつ優しさを内に閉じ込めてしまうような出来事が多々起こります。
優しさを内に閉じ込める人が増えてくればくるほど、
さらにそれは街の中に伝播し、人はますます他人に対して距離を置くようになってしまいます。

お互いが重なり合い、譲り合い、
お互いをもっと認め合い、尊重しあうことによって、
その適度に密な相互関係の中から、
ひとりでは決して実現できない、
真の幸せが生まれてきます。
それは、人間の一番の醍醐味と言っても良いかと思います。

人間関係が希薄になった街の中で、
どのようにしたら人と人とが適度に密な相互関係を取戻し、
人の真の優しさを表に出していけるのでしょうか。
ここのところ私が仕事を通じて取り組んでいきたいと思っている一つの課題でもあります。

いま自分で気づきましたが、
こんなことを仕事に織り込もうとするから、
どうしても仕事のハードルが高くなってしまうのですね。

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