かつて私たちの先祖にとって、
家族や、地域の人々との関係は、
自分が生きるためには、
なくてはならない、
極めて重要なものでした。
その関係が途絶えてしまうことは、
生きていけないことを意味しました。
しかし、明治以降の産業の発展とともに、
分業が発達し、
お金さえあれば、
人間関係が希薄でも、
何の支障もなく、
生きていける世の中になっていきました。
そして、お互いの関係は、
いやになればやめることができる、
まるで人生の部品のような、
希薄でドライな関係が中心になってきました。
そのために、
私たちは他人に共感する力や、
相手を思いやる想像力が衰えていきました。
そして、特に戦後は、
隣人のために無償で働くということが少なくなり、
困っている人が身近にいても、
なかなか援助の手を、
すぐに差し伸べられない、
そういった人が増えたような気がします。
しかし、阪神淡路大震災のころを境に、
人々の気質が、徐々に変わってきたような気がします。
多くの方が、自分のことと同等に、
他人のことに気を使い、
援助や支援を行われているように感じます。
それと同時に、
人々の精神世界に対する関心も、
にわかに高まってきた感じがします。
10年前の書店では、精神世界の書物は、
申し訳ないように、
哲学書のそばに隠れるように、
何段かの書棚が割り当てられているだけでした。
しかし最近では、
広い書棚に、数多くの書籍が、
どうどうと並べられるようになりました。
多くの方が興味をもたれていることがわかります。
バブル以降のことを、
失われた10余年といいますが、
必ずしも全てがそうではないと思います。
経済的には停滞したかもしれませんが、
人々の心は、
徐々に利己から利他に目覚めていった、
10年だったと言えるでしょう。
いま、日本にも、
カルチュラル・クリエイテュブと言える、
環境、平和、社会正義、スピリチュアルに目覚めた、
新たな層が急速に拡大しています。
間違いなく、今後10年のうちには、
過半数を超えて、マジョリティーとなるでしょう。
政治、企業経営においても、
それを十分に見越して、
変革を行っていかないと、
社会から取り残されてしまうのは、
間違いない事と思います。
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