子供時代にシェークスピアの「ヴェニスの商人」を読んで、
冷酷な金貸しのユダヤ人であるシャーロックと、
利子を付けずにお金を貸し、慈愛に富むアントニオとを比べて、
シャーロックの方に愛着を感じる子供は少ないでしょう。
しかし、現実は、
一部のイスラム金融、コミュニティーバンクなどを除いて、
世界の金融機関のほとんど全てが、
まさにシャーロックそのものとなっています。
そして、社会自体もそれが正しいものとして認めています。
今の世の中は、
心が求める世界と、現実とが、
まさに正反対のごとくに異なっている、
摩訶不思議な世界です。
私自身も例外ではありません。
学校を出て、米国系の経営コンサルティング会社に入り、
当時は米国流こそが一番とばかりに、
いかに利益を上げるか、いかにコストを削減するかを唱え、
リストラ、つまり、リストラクチャリングという言葉を、
最も早く日本に持ち込んだ会社の一人として働いていました。
いま思い出すと、穴があったら入りたいくらいの気持ちです。
しかし、転機が訪れました。
ある大手不動産会社が開発中だった、
瀬戸内海の美しい丘陵地帯を無残に切り崩した現場に立ったとき、
大切なものが破壊されている寂しさとともに、
既存の社会の根本的なところの何かがおかしい、何かが違うと、
私の心の中に、それまでになかった、
疼くような感情が芽生えました。
その感情は癒えぬまま、
私は恵まれた職場を後にしました。
そして、働き盛りであるにもかかわらず、
3年半の間、一切の仕事を絶ち、
私たち人間や自然界の本質と、
あるべき社会の姿とを探る日々が続きました。
暗中模索の日々は、
いま思い返しても結構つらい日々でした。
ですが、だんだんと世界の姿を客観的に見られるようになり、あるべき社会の姿が、おぼろげにも分かってくるにつれて、これは、自分にとって本当に良かったと思えてくるようになりました。
いま原著が手元にないので正確ではありませんが、
吉川英治の名著である宮本武蔵の中に、
「河の中にいる魚は、その河がどのような姿かわからない」
といった言葉が、何度か繰り返されて出てきます。
まさに自分も、その魚でしたし、
今の世の中の大多数も、そういう状況の魚であると思います。
社会のあるべき姿を探るには、
パラダイムという河の虜になっていては、
決してその本質は見えてきません。
一時的に河から出て、
外から社会の姿を眺めてみること。
なかなか難しいですし、リスクもありますが、
これからの社会を引っ張っていく人には、
必要不可欠なことかもしれません。
オバマ大統領は、シカゴでソーシャルコーディネーターを勤めたあと、
3年の間、ハーバードの図書館に篭ったそうです。
彼はその間に、そこで何を発見し、何を考えたのでしょうか。
もし会えたら、是非、聞いてみたい一つです。
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