今日、ある大学の学長さんと、
長時間にわたって、
環境と社会の関係について、
いろいろと話をお伺いする機会がありました。
全体論的立場と還元主義的立場との、
違いを認識した上で、
環境を語り、社会を語れる人が、
まだまだ少ない中、
哲学がご専門の先生は、
まさにそれを語るに相応しい方であり、
そのような方と話ができたのは、
久しぶりの、
ちょっと嬉しい出来事でした。
先生と話をしていて改めて思ったのは、
「環境」や「エコ」と言う言葉が、
この10年の間に非常に増えてきたものの、
その最も根幹となる考え方や、
ものの見方が変わっていないために、
枝葉末節な議論に陥ったり、
本末転倒な研究や政策、活動が、
頻発していることでした。
例えは、
エコ→省エネ、省資源
環境→二酸化炭素削減、リサイクル
省エネになれば、それがエコなのか。
考えれば、それは否であることは、
誰でもわかることですが、
ですが、そう考えている環境の専門家が、
多いのも事実です。
先生と最も共感したのは、
この人間を含む自然界は全てが密接に結びつき、
何一つ独立させて考えることは不可能であることを知ること。
それは、頭だけの知識ではなく、
身体、心、魂で感じて理解すること。
そのような全体論的(ホリスティック)な観点を持つことが、まさに、環境教育の最も大事なポイントであることでした。
シューマッハカレッジのような学校が、
日本に存在できないのは、
やはりそういった視点を持った教育者が、
まだまだ少ないことです。
「環境」分野の専門の学部と大学院をもつこの大学でも、
2~3人かなとのことでした。
ですが、この大学には、
全体論的な視点をお持ちの、
学長さんと事務局長さんがおられることから、
大いに希望が持てると思います。
実は、
もともと独特なホリスティックな視点を持っていた日本に、
エコロジーに関心を持つ世界の人々は、
とても注目しています。
それは、日本人が想像する以上の関心の高さです。
しかし、外国人にとっては日本語の壁があります。
ところが、
言霊をもつ言語と言われる日本語は、
その構造自体も、
実は、非常に自然界の原理と似たところがあるそうです。
自然界には「あなた」も「私」もありません。
その基本は全て「私たち」です。
日本語は、まさにその通りです。
外国人にとっては、日本語を学ぶこと自体が、
エコロジーを理解する第一歩のはずです。
この大学、
うまく変革できれば、
シューマッハカレッジのように、
世界から一流講師や学生が集まるようになるはずです。
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