【シリーズ】新しい社会の基本がわかる その5

“地域”が基本であること

生命の世界では、
ある生命が住んでいるその場が、
その生命にとっての中心であり、
行動範囲の中に、
食べるものや飲むもの、
住みかの素材が存在し、
そして、死んでもなお、
その身体は、その土地に還り、
新たな生命の基となっていきます。
その地域のなかで生命は育くまれ、
そこには、生きていくための全てが満たされています。

生命が生まれて、死ぬまで、
それが自然界全体に対して行う貢献は計り知れません。
たとえ、小さな虫であっても、
その虫相応の、多大な貢献をしています。

その虫の、
食べること、
動くこと、
住みかを作ること、
糞をすること、
そして、
他の虫や動物に食べられること、
分解されて肥料になること。
生命は、生まれてから死ぬまで、
いや、死んでからも、
全てのライフステージにおいて、
常に違った形で、
他の生命のためになっているのです。

基本的に、生命系というものは、
こういった個々の生命の営みが、
奇跡のような調和を保ちながら集積し、
まず、小さなオアシスのようなコミュニティーが形成され、それがさらに大きな地域レベルのコミュニティーを形作り、そして、最終的には地球規模のコミュニティーとなります。

でも、常にその基本は、
その生命が生きている、
その「場」=「地域」に変わりありません。

その「地域」と「生命」との関係は、
切り離すことの出来ない運命共同体であり、
見た目は別々でも、
まさに一つの命といったほうが良いでしょう。

人類も昔は、
地域の生態系と運命共同体として、
生活を営んでいました。

しかし、農業を覚え、
技術の蓄積を始めてからというもの、
運命共同体としての感覚を忘れ、
地球生命系の中で、孤高な存在となり、
今は、
他の生命を脅かす存在とさえなってしまいました。

それは、文化や価値観という形で、
親から子へと引き継がれ、
今日に至っています。

でも、
現代のように、
人類と地球生命系とが分離してしまったことを、
人類が道を踏み外してしまったためとは考えないほうが良いと私は思います。

いわば、進化の次の段階に入る準備のために、
通らざるを得なかった通過点だったと、
考えた方がよいと思います。

人類が発生してから、
人類は身体的、精神的な進化をしてきました。
それは、止まることなく、
今も進化し続けています。

その証として、
世界的に、
人類と自然とは運命共同体であり、
地球生命系としての一つの命である、
といった認識や価値観が再び戻りつつあります。
しかも、かつての動物的、直感的な認識とは違って、
一度「分離」したことによって獲得した、
客観的な視座と、
自らに自由意志と創造力があることを知った上での、
新たな認識と、新たな価値観です。

その新たな認識や価値観を持った人々は、
まず、地域の自然生態系のことを考えます。
私たちが荒らしてしまった地域の自然生態系を、
調和のとれたものに戻そうとします。
これは既に1960年代から始まっています。

次に起こるのは、
自分たちの生活を、
地域との密接な関係の中で維持し、
様々な社会活動の基本を、
地域におくようになります。
これは、まさにいま、
世界的に急進展している出来事と言って良いでしょう。

特に、命に関わる水や食料は、
本当に歩いていける範囲の場所で、
生産し、消費され、
まさに“地域コミュニティーで命を守っていく”
そういう基盤が形成されていくはずです。
そしていずれ、
生活の基本財を生産する他の産業も加わり、
地域で循環する経済の構築へと、
向かっていくはずです。

そのような地域コミュニティーが増えてくると、
それらは、
他地域やグローバルなコミュニティーと、
ゆるやかに連携し、相互補完しあいながら、
適度な自律と、適度な相互依存のバランスを実現することになるでしょう。
まさに生命の秩序と同じ社会の構造の出現です。

これは、時代の要請という以上に、
人類の精神的進化の結果です。
今後、政治やマスメディアの影響によって、
グローバル化の話題が多くなるときもあるかもしれませんが、
根底を流れる潮流は、
決して変わるものではないはずです。

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