日曜日の八ヶ岳の夕暮れ。
長坂の駅のそばにあるホールで、
ドキュメンタリー映画「いのちの作法」、
を見てきました。
舞台は岩手県の西和賀町(旧沢内村と旧湯田村)。
その昔(1968年)、岩波新書で、
「自分たちで命を守った村」が出版され、
また近年、
NHKでも取り上げられたことがあることから、
ご存知の方も少なくないと思います。
そこは50年前から、
「住民の生命を守る」ことを最優先に、
生命行政と言われる行政を進めてきた所です。
美しい山間の村は、
一年の半分は雪に埋もれ、
高度成長期に取り残された寒村でしたが、
保険と医療、それに老人ケアに重点を置き、
全国に先駆けて、
老人医療費の無料化と乳児死亡率ゼロ、
を実現した村として知られています。
このドキュメンタリー映画「いのちの作法」は、
生命行政を取りいれた深沢村長と、
それを強力にバックアップした、
太田教育長(後に村長)の後につづく、
生命行政を守り、実践している、
町の人々の姿を取材したものです。
今もいろいろな取り組みがされているなかで、
強く印象に残ったのは、
深沢村長の、
「国がやらなければ、その時まで私がやる」
と宣言した、その心意気。
彼は、村民の一人ひとりに、
常に心を配っておられ、
今も、人々から偲ばれる人のようです。
また、涙無しには見られないシーンは、
児童福祉施設の、
親の愛情を受けられない子供たちを、
村の集落で引き受け、
家族同様の時間をつくってあげ、
心の故郷となってあげる活動。
子供たちにとっても、集落側にとっても、
とても貴重で、幸せな時間のようです。
その集落自身も、
過疎と高齢化のために孤立しがちな家々を、
行政も加わって一箇所に集め、
集落としての存続を可能にしたところでした。
お互いが、お互いのために、
少しでも幸せに生きることができるように、
横に繋がり、協力をいとわない人々。
これは、高い理念をもったリーダーと、
50年にわたる地道な教育や諸活動がもたらした、
結果だと思います。
ところで、450人入る会場はほぼ満席。
昼の部もあったので、
実に900名もの人がこの映画を見たことになります。
人口の少ない八ヶ岳では、まれに見る集客です。
団塊世代以上の年代の方の多いこの地域では、
その関心も高かったのでしょう。
都会から八ヶ岳に移住されてきている、
団塊世代層以上にとって、
老後の問題は深刻です。
車が運転できなくなったら、
まず、今のままでは生活できません。
地域通貨等を通じた、
幾つかのネットワークもありますが、
その効果は限定的といわざるを得ません。
財政が破綻しそうな状態では、
行政に期待するのも難しいのが現状です。
これを解決するには、
今の一般的な常識を越える、
お互いの協力意識の向上が不可欠です。
住民の一人ひとりが、
相手を選ぶことなく、
お互いを支えあうこと。
そして、お互いのニーズが分かり、
それに応じて協力しあえる、
より小さな集落をオーガナイズしていく以外に、
解決の道はないでしょう。
それを負担と感じず、
自分の幸せとして感じられること。
まるで弥勒の世界のようですが、
そういった、ボランタリーな社会は、
決して夢ではなく、
そう遠くない将来に、
必ず出現すると私は信じています。
長坂の駅のそばにあるホールで、
ドキュメンタリー映画「いのちの作法」、
を見てきました。
舞台は岩手県の西和賀町(旧沢内村と旧湯田村)。
その昔(1968年)、岩波新書で、
「自分たちで命を守った村」が出版され、
また近年、
NHKでも取り上げられたことがあることから、
ご存知の方も少なくないと思います。
そこは50年前から、
「住民の生命を守る」ことを最優先に、
生命行政と言われる行政を進めてきた所です。
美しい山間の村は、
一年の半分は雪に埋もれ、
高度成長期に取り残された寒村でしたが、
保険と医療、それに老人ケアに重点を置き、
全国に先駆けて、
老人医療費の無料化と乳児死亡率ゼロ、
を実現した村として知られています。
このドキュメンタリー映画「いのちの作法」は、
生命行政を取りいれた深沢村長と、
それを強力にバックアップした、
太田教育長(後に村長)の後につづく、
生命行政を守り、実践している、
町の人々の姿を取材したものです。
今もいろいろな取り組みがされているなかで、
強く印象に残ったのは、
深沢村長の、
「国がやらなければ、その時まで私がやる」
と宣言した、その心意気。
彼は、村民の一人ひとりに、
常に心を配っておられ、
今も、人々から偲ばれる人のようです。
また、涙無しには見られないシーンは、
児童福祉施設の、
親の愛情を受けられない子供たちを、
村の集落で引き受け、
家族同様の時間をつくってあげ、
心の故郷となってあげる活動。
子供たちにとっても、集落側にとっても、
とても貴重で、幸せな時間のようです。
その集落自身も、
過疎と高齢化のために孤立しがちな家々を、
行政も加わって一箇所に集め、
集落としての存続を可能にしたところでした。
お互いが、お互いのために、
少しでも幸せに生きることができるように、
横に繋がり、協力をいとわない人々。
これは、高い理念をもったリーダーと、
50年にわたる地道な教育や諸活動がもたらした、
結果だと思います。
ところで、450人入る会場はほぼ満席。
昼の部もあったので、
実に900名もの人がこの映画を見たことになります。
人口の少ない八ヶ岳では、まれに見る集客です。
団塊世代以上の年代の方の多いこの地域では、
その関心も高かったのでしょう。
都会から八ヶ岳に移住されてきている、
団塊世代層以上にとって、
老後の問題は深刻です。
車が運転できなくなったら、
まず、今のままでは生活できません。
地域通貨等を通じた、
幾つかのネットワークもありますが、
その効果は限定的といわざるを得ません。
財政が破綻しそうな状態では、
行政に期待するのも難しいのが現状です。
これを解決するには、
今の一般的な常識を越える、
お互いの協力意識の向上が不可欠です。
住民の一人ひとりが、
相手を選ぶことなく、
お互いを支えあうこと。
そして、お互いのニーズが分かり、
それに応じて協力しあえる、
より小さな集落をオーガナイズしていく以外に、
解決の道はないでしょう。
それを負担と感じず、
自分の幸せとして感じられること。
まるで弥勒の世界のようですが、
そういった、ボランタリーな社会は、
決して夢ではなく、
そう遠くない将来に、
必ず出現すると私は信じています。
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