“繋がり”を増やす
よく生物多様性が大事と言われますが、
単に種類が増えればよいと言う問題ではありません。
生物多様性の先にある、もっと大事な点は、
種と種の間で、
お互いに相互依存しあう関係が、
いかに多く築かれているかどうかです。
ある一定の大きさのコミュニティーがあったとします。
仮に、それを構成する種が少なく、
食物連鎖のようなお互いの繋がりが、
単純な集団だったとしましょう。
たとえばキツネ、ウサギ、草の種があり、
キツネはウサギを捕食し、ウサギは草を食べ、
草はキツネやウサギの排泄物を栄養にするとします。
このようなコミュニティーの場合は、
構成する種のうちの一つの個体数が少し変動しただけで、
別の種の個体数は著しく増減し、
コミュニティーはとても不安定です。
ちょっとした拍子で、
ある種が絶滅する可能性は高く、
もし絶滅した場合には、
連鎖的に他の種もすぐに絶滅します。
ちなみに食物連鎖(FOOD CHAIN)と言うと、
なんとなくそのイメージは、
A→B→C→D→E→F→G→・・・
といった直線が、
X→Y→Z→A→B→C→・・・と回帰して、
輪になった円環的な感じがします。
しかし、現実の自然界はちょっと違います。
例えば、
ライオンは百獣の王と言われますが、
他の動物を食べるばかりでなく、
死んだり、弱ったりしたときは、
必ず食べられる側にまわります。
ハイエナやワシはもちろん、
虫やバクテリアなどいろいろなものに、
食べられてしまいます。
普段でも、
ライオンの口やおなかの中や、皮膚には、
数えられないくらいの種類の細菌が住んでいます。
つまり、ライオン一頭をとっても、
お互いに持ちつ持たれつの、
また、食べたり、食べられたりの、
多様な相互依存の関係の中に存在しています。
お互いがお互いに生かされている関係です。
この地球上には、
数え切れない数の生命が住んでいますが、
それが各々に、
まさに無限に近い相互依存の繋がりを作っています。
それはもはや円環ではなく、
縦横無尽に繋がりが複雑に交錯する、
“FOOD WEB”となっているのです。
この相互依存の豊かな“繋がり”のある、
コミュニティーは、
一部の種の個体数が少々変化しようとも、
コミュニティー全体としては、
非常に安定しています。
仮に、一部の種が何かの要因で絶滅したとしても、
その“繋がり”の欠損を他の種が補うことができることから、
コミュニティーは、やや姿を変えながらも、
そのまま持続維持されていきます。
こういったコミュニティーを、
flexibility(柔軟性)
robustness(健全性)
に富んでいると言い、それらは、
健康的なコミュニティーの特徴と考えられています。
これは、地球レベルだけの話ではありません。
大陸レベルから、地域レベル、
小さな孤島や砂漠の中の小さなオアシスでも、
それぞれのレベルのコミュニティーの中に、
この相互依存の豊かな“繋がり”があり、
生命の営みが維持継続されているのです。
そしてそれは、“エコロジー”の、
最も重要な特徴の一つでもあるのです。
これは、私たちが、
幸福度が高く、質の高い社会を目指すうえで、
とても重要なヒントとなります。
現代の社会は、
インターネットや遠距離輸送の発達によって、
これまでの取引形態にとらわれない、
様々な地域、国々との売買が活発になりました。
いわゆるグローバル経済です。
しかしながら、それらは必ずしも、
相互依存の豊かな“繋がり”にはなっていません。
多くは、買った、売っただけに完結する、
“一方向的”な取引形態です。
しかも、何かあったらすぐに取引は打ち切られる、
ドライな関係でもあります。
つまり、簡単にプチプチ切れる、
距離は長いけれども、
いたって貧弱な“繋がり”なのです。
では、相互依存の豊かな“繋がり”のある社会とはどのようなものなのでしょうか。
人間が日常的に移動できる範囲、
人間の知覚の範囲、
人間同士がお互いに理解できる距離、
など、それぞれに限界があることを考えると、
それは、そう大きくない、
地域レベルのコミュニティーの中で、
基本的な生活に関わる多くを生産し、消費する、
地域循環型の経済社会を作ることと言えます。
そのためには、
生産する人も、消費する人も、
地域を意識して行動するようになることが大事です。
そうしていくと、
社会は着実に変化していきます。
まず、生産者と消費者の距離が近づくため、
お互いのニーズにあった商品が増えてきます。
農産物などは、朝採れた新鮮なものが食卓に届きます。
遠距離輸送が激減し、
環境負荷が大きく軽減されます。
食材は、地元の工場で加工され、
地元の輸送会社が商店に届け、
地元の商店がそれを販売します。
つまり、すべてに地元の人が関わることで、
地域にお金の循環が生まれ、地域が潤います。
グローバル経済の中では、
見えない海外の企業を相手に、
コスト一辺倒の競争に陥りがちでしたが、
小さな地域の中では、
皆がお互いのことを知るために、
コストのみならず、
品質や企業姿勢も重要な要素となります。
会社間では、コスト競争というよりは、
お互いが切磋琢磨してしのぎを削り、
本当に良い会社の良い商品が、
市場に多く出回るようになります。
お互いが近い関係だけに、
そう簡単に“繋がり”は切れません。
その代わり、お互いの信頼と責任が、
より一層問われ、
品質、モラルの向上につながります。
地域がより連帯してくると、
経済面だけでなく、
教育、福祉、文化などの様々な活動が生まれ、
地域が活性化され、進化していきます。
さらに地域コミュニティーが成熟してくると、
人々は、どのような人でも、
コミュニティーの中に、
自分を必要とする場所があることを知り、
何かの役に立てている喜びを感じられることでしょう。
そこに、格差などはありえません。
相互依存の豊かな“繋がり”は、
人間の本源的な愛の表現です。
コミュニティーが成熟するにつれ、
愛の表現もより光り輝いていくはずです。
一方で、
このままグローバル経済を進めていっても、
決してこのようにはなりません。
グローバル経済を進めていき、
国際分業を目指しても、
それは国家や国際機関が、
コントロールできる代物ではありません。
恐竜が巨大化しすぎてしまい、
絶滅したのと同じように、
全世界をどん底の不幸にしたあげくに、
消えていく運命をたどるのが落ちです。
一日でも早く、国をあげて舵を切り、
相互依存の豊かな“繋がり”をもった、
地域コミュニティーづくりに、
向かってほしいと願ってやみません。
よく生物多様性が大事と言われますが、
単に種類が増えればよいと言う問題ではありません。
生物多様性の先にある、もっと大事な点は、
種と種の間で、
お互いに相互依存しあう関係が、
いかに多く築かれているかどうかです。
ある一定の大きさのコミュニティーがあったとします。
仮に、それを構成する種が少なく、
食物連鎖のようなお互いの繋がりが、
単純な集団だったとしましょう。
たとえばキツネ、ウサギ、草の種があり、
キツネはウサギを捕食し、ウサギは草を食べ、
草はキツネやウサギの排泄物を栄養にするとします。
このようなコミュニティーの場合は、
構成する種のうちの一つの個体数が少し変動しただけで、
別の種の個体数は著しく増減し、
コミュニティーはとても不安定です。
ちょっとした拍子で、
ある種が絶滅する可能性は高く、
もし絶滅した場合には、
連鎖的に他の種もすぐに絶滅します。
ちなみに食物連鎖(FOOD CHAIN)と言うと、
なんとなくそのイメージは、
A→B→C→D→E→F→G→・・・
といった直線が、
X→Y→Z→A→B→C→・・・と回帰して、
輪になった円環的な感じがします。
しかし、現実の自然界はちょっと違います。
例えば、
ライオンは百獣の王と言われますが、
他の動物を食べるばかりでなく、
死んだり、弱ったりしたときは、
必ず食べられる側にまわります。
ハイエナやワシはもちろん、
虫やバクテリアなどいろいろなものに、
食べられてしまいます。
普段でも、
ライオンの口やおなかの中や、皮膚には、
数えられないくらいの種類の細菌が住んでいます。
つまり、ライオン一頭をとっても、
お互いに持ちつ持たれつの、
また、食べたり、食べられたりの、
多様な相互依存の関係の中に存在しています。
お互いがお互いに生かされている関係です。
この地球上には、
数え切れない数の生命が住んでいますが、
それが各々に、
まさに無限に近い相互依存の繋がりを作っています。
それはもはや円環ではなく、
縦横無尽に繋がりが複雑に交錯する、
“FOOD WEB”となっているのです。
この相互依存の豊かな“繋がり”のある、
コミュニティーは、
一部の種の個体数が少々変化しようとも、
コミュニティー全体としては、
非常に安定しています。
仮に、一部の種が何かの要因で絶滅したとしても、
その“繋がり”の欠損を他の種が補うことができることから、
コミュニティーは、やや姿を変えながらも、
そのまま持続維持されていきます。
こういったコミュニティーを、
flexibility(柔軟性)
robustness(健全性)
に富んでいると言い、それらは、
健康的なコミュニティーの特徴と考えられています。
これは、地球レベルだけの話ではありません。
大陸レベルから、地域レベル、
小さな孤島や砂漠の中の小さなオアシスでも、
それぞれのレベルのコミュニティーの中に、
この相互依存の豊かな“繋がり”があり、
生命の営みが維持継続されているのです。
そしてそれは、“エコロジー”の、
最も重要な特徴の一つでもあるのです。
これは、私たちが、
幸福度が高く、質の高い社会を目指すうえで、
とても重要なヒントとなります。
現代の社会は、
インターネットや遠距離輸送の発達によって、
これまでの取引形態にとらわれない、
様々な地域、国々との売買が活発になりました。
いわゆるグローバル経済です。
しかしながら、それらは必ずしも、
相互依存の豊かな“繋がり”にはなっていません。
多くは、買った、売っただけに完結する、
“一方向的”な取引形態です。
しかも、何かあったらすぐに取引は打ち切られる、
ドライな関係でもあります。
つまり、簡単にプチプチ切れる、
距離は長いけれども、
いたって貧弱な“繋がり”なのです。
では、相互依存の豊かな“繋がり”のある社会とはどのようなものなのでしょうか。
人間が日常的に移動できる範囲、
人間の知覚の範囲、
人間同士がお互いに理解できる距離、
など、それぞれに限界があることを考えると、
それは、そう大きくない、
地域レベルのコミュニティーの中で、
基本的な生活に関わる多くを生産し、消費する、
地域循環型の経済社会を作ることと言えます。
そのためには、
生産する人も、消費する人も、
地域を意識して行動するようになることが大事です。
そうしていくと、
社会は着実に変化していきます。
まず、生産者と消費者の距離が近づくため、
お互いのニーズにあった商品が増えてきます。
農産物などは、朝採れた新鮮なものが食卓に届きます。
遠距離輸送が激減し、
環境負荷が大きく軽減されます。
食材は、地元の工場で加工され、
地元の輸送会社が商店に届け、
地元の商店がそれを販売します。
つまり、すべてに地元の人が関わることで、
地域にお金の循環が生まれ、地域が潤います。
グローバル経済の中では、
見えない海外の企業を相手に、
コスト一辺倒の競争に陥りがちでしたが、
小さな地域の中では、
皆がお互いのことを知るために、
コストのみならず、
品質や企業姿勢も重要な要素となります。
会社間では、コスト競争というよりは、
お互いが切磋琢磨してしのぎを削り、
本当に良い会社の良い商品が、
市場に多く出回るようになります。
お互いが近い関係だけに、
そう簡単に“繋がり”は切れません。
その代わり、お互いの信頼と責任が、
より一層問われ、
品質、モラルの向上につながります。
地域がより連帯してくると、
経済面だけでなく、
教育、福祉、文化などの様々な活動が生まれ、
地域が活性化され、進化していきます。
さらに地域コミュニティーが成熟してくると、
人々は、どのような人でも、
コミュニティーの中に、
自分を必要とする場所があることを知り、
何かの役に立てている喜びを感じられることでしょう。
そこに、格差などはありえません。
相互依存の豊かな“繋がり”は、
人間の本源的な愛の表現です。
コミュニティーが成熟するにつれ、
愛の表現もより光り輝いていくはずです。
一方で、
このままグローバル経済を進めていっても、
決してこのようにはなりません。
グローバル経済を進めていき、
国際分業を目指しても、
それは国家や国際機関が、
コントロールできる代物ではありません。
恐竜が巨大化しすぎてしまい、
絶滅したのと同じように、
全世界をどん底の不幸にしたあげくに、
消えていく運命をたどるのが落ちです。
一日でも早く、国をあげて舵を切り、
相互依存の豊かな“繋がり”をもった、
地域コミュニティーづくりに、
向かってほしいと願ってやみません。
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