先日、週刊誌AERAで、
「ふつうの幸せ」をテーマにした、
勝間和代と香山リカとの対談が載っていました。
努力して成功を勝ち取る幸せか、
それとも、程ほどに人生を送って感じる幸せか、
その対峙を狙って企画された対談でしたが、
対談内容は、まるでそれを裏切るような、
双方かみ合わないものでした。
私が考える「幸せ」と言うものは、
勝間和代や香山リカのどちらとも違います。
まず、
幸せというものは、
生きている限り、
その人が気づいているか、いないかに関わらず、
必ず、そこにあるものだと思います。
幸せは追求するものではないと思います。
いま、生きていられることの有難さ、
何かをできることの有難さ、
何かを創れることの喜び。
それらをいかに感じられるか、
その「幸せを感じる力」が、
大事なのではないかと思っています。
「幸せを感じる力」が大きければ大きいほど、
その人は、本当の意味で幸せなのだと思います。
また、人生というものは、
様々な因果関係の連続で出来ています。
従って、過去、現在、未来の、
セットで考えたほうが良いかと思っています。
仮に今が過酷な状況であっても、
まだ来ない未来を見ないうちに、
勝手に自分は不幸だと結論を出してはいけません。
過去に問題があれば、
その業は自ら責任をもって解消しなければなりせんし、
もし、過去に問題がなければ、
今は、自分のための大事な経験の一環であり、
未来の大きな幸せに繋がるのだと、
考えた方が良いかと思います。
世界のいたるところで大災害があり、
昨日まで生きていた人が、今日はいないという現実が、
あちらこちらで起こっています。
何故そのような不条理に思えるようなことが、
起こるかについて、
その理由を頭で理解することは、
まず不可能だと思います。
世界(宇宙)の仕組みは深遠で、不可思議です。
幸せか不幸かの区別を超えた、
もっと深い理由がありそうです。
従って、
強引に理解して、決め付けてしまうより、
わからないものはわからないものとして、
素直に生きることも大事だと思います。
むやみに世界を恐れることなく、
明るく、前向きに、
感謝しながら、楽しみながら!・・・。
「ふつうの幸せ」をテーマにした、
勝間和代と香山リカとの対談が載っていました。
努力して成功を勝ち取る幸せか、
それとも、程ほどに人生を送って感じる幸せか、
その対峙を狙って企画された対談でしたが、
対談内容は、まるでそれを裏切るような、
双方かみ合わないものでした。
私が考える「幸せ」と言うものは、
勝間和代や香山リカのどちらとも違います。
まず、
幸せというものは、
生きている限り、
その人が気づいているか、いないかに関わらず、
必ず、そこにあるものだと思います。
幸せは追求するものではないと思います。
いま、生きていられることの有難さ、
何かをできることの有難さ、
何かを創れることの喜び。
それらをいかに感じられるか、
その「幸せを感じる力」が、
大事なのではないかと思っています。
「幸せを感じる力」が大きければ大きいほど、
その人は、本当の意味で幸せなのだと思います。
また、人生というものは、
様々な因果関係の連続で出来ています。
従って、過去、現在、未来の、
セットで考えたほうが良いかと思っています。
仮に今が過酷な状況であっても、
まだ来ない未来を見ないうちに、
勝手に自分は不幸だと結論を出してはいけません。
過去に問題があれば、
その業は自ら責任をもって解消しなければなりせんし、
もし、過去に問題がなければ、
今は、自分のための大事な経験の一環であり、
未来の大きな幸せに繋がるのだと、
考えた方が良いかと思います。
世界のいたるところで大災害があり、
昨日まで生きていた人が、今日はいないという現実が、
あちらこちらで起こっています。
何故そのような不条理に思えるようなことが、
起こるかについて、
その理由を頭で理解することは、
まず不可能だと思います。
世界(宇宙)の仕組みは深遠で、不可思議です。
幸せか不幸かの区別を超えた、
もっと深い理由がありそうです。
従って、
強引に理解して、決め付けてしまうより、
わからないものはわからないものとして、
素直に生きることも大事だと思います。
むやみに世界を恐れることなく、
明るく、前向きに、
感謝しながら、楽しみながら!・・・。
0コメント