以前から気になっていた、
日本の生物学者ですが、
そのお名前だけは知っていたのですが、
どういう方かは存じ上げませんでした。
大学運営に関する仕事の関係で、
ちょっと気になり調べてみると、
何十冊もの生物学の教科書などの著作があり、
世界的にも知られる研究を残されている、
大御所の先生でした。
早速、その著作の中でも、
最近に書かれた何冊かを取り寄せ、
拝見しました。
シューマッハカレッジの恩師の本の内容も、
随所に引用されていて、
私としては、嬉しい発見でしたが、
でも、恩師が本当に言いたかった、
本質には届いていません。
生物の微細な部分の説明や、
進化論についての解説をはじめ、
現代社会への憂いとして、
共生が大事だとか、
人間のエゴが自然を破壊しているとか、
についての記述はあるものの、
もっと根本的な、
観察者としての見方、考え方、
生命とは何か、自然とは何かという、
ことについては触れられていません。
私としては、
そういった基本なしに生命の探求をしても、
それは表面的な現象を追って解説をつけるだけで、
生命現象の本当の姿は見えてこないのではと、
当然のこととして思うわけです。
先日も、ある大学の環境系学科が計画している、
カリキュラム変更案を見せてもらいましたが、
これもまた、枝葉に終始している講座ばかりで、
私からするとお話になりません。
こういった授業しか受けられない学生が、
かわいそうです。
「環境」ということを習ったつもりでいても、
現実の世界でもまれていくうちに、
すぐに役に立たない知識ばかりだったことに気づくでしょう。
親御さんが高い授業料を払い、
皆の税金が補助金として使われていることを思うと、
本当に何とかしなければという気持ちばかりが、
空回りしてしまいます。
そういえば、自然界の本質的なしくみを解いた、
オートポイエーシスをまとめた一人である、
フンベルト・マチュラナ先生が、
授業の最初に言っておられました。
「よく人から、何故あなたはこれほどまでに大きな仕事をされているのに、どうしてノーベル賞をとらないのですか?と聞かれますが、私の研究は、自然界の本質的なしくみを説明しただけで、一般に学者として評価される、何かの業績や結果を残したわけではないからです」と。
つまり、今の特に理系のアカデミックな世界では、
自然界の本質を説明したからといって、
学会では評価されないし、教員としても評価されないのです。
根幹は無くても、兎にも角にも、
枝葉な「業績」をあげることのほうが大事なのです。
これが本当の「知」の姿なのでしょうか。
自然の叡智に結びついた本当の「知」の探求と教育とは、
今の大学行政の中では、まだ時間がかかりそうです。
日本の生物学者ですが、
そのお名前だけは知っていたのですが、
どういう方かは存じ上げませんでした。
大学運営に関する仕事の関係で、
ちょっと気になり調べてみると、
何十冊もの生物学の教科書などの著作があり、
世界的にも知られる研究を残されている、
大御所の先生でした。
早速、その著作の中でも、
最近に書かれた何冊かを取り寄せ、
拝見しました。
シューマッハカレッジの恩師の本の内容も、
随所に引用されていて、
私としては、嬉しい発見でしたが、
でも、恩師が本当に言いたかった、
本質には届いていません。
生物の微細な部分の説明や、
進化論についての解説をはじめ、
現代社会への憂いとして、
共生が大事だとか、
人間のエゴが自然を破壊しているとか、
についての記述はあるものの、
もっと根本的な、
観察者としての見方、考え方、
生命とは何か、自然とは何かという、
ことについては触れられていません。
私としては、
そういった基本なしに生命の探求をしても、
それは表面的な現象を追って解説をつけるだけで、
生命現象の本当の姿は見えてこないのではと、
当然のこととして思うわけです。
先日も、ある大学の環境系学科が計画している、
カリキュラム変更案を見せてもらいましたが、
これもまた、枝葉に終始している講座ばかりで、
私からするとお話になりません。
こういった授業しか受けられない学生が、
かわいそうです。
「環境」ということを習ったつもりでいても、
現実の世界でもまれていくうちに、
すぐに役に立たない知識ばかりだったことに気づくでしょう。
親御さんが高い授業料を払い、
皆の税金が補助金として使われていることを思うと、
本当に何とかしなければという気持ちばかりが、
空回りしてしまいます。
そういえば、自然界の本質的なしくみを解いた、
オートポイエーシスをまとめた一人である、
フンベルト・マチュラナ先生が、
授業の最初に言っておられました。
「よく人から、何故あなたはこれほどまでに大きな仕事をされているのに、どうしてノーベル賞をとらないのですか?と聞かれますが、私の研究は、自然界の本質的なしくみを説明しただけで、一般に学者として評価される、何かの業績や結果を残したわけではないからです」と。
つまり、今の特に理系のアカデミックな世界では、
自然界の本質を説明したからといって、
学会では評価されないし、教員としても評価されないのです。
根幹は無くても、兎にも角にも、
枝葉な「業績」をあげることのほうが大事なのです。
これが本当の「知」の姿なのでしょうか。
自然の叡智に結びついた本当の「知」の探求と教育とは、
今の大学行政の中では、まだ時間がかかりそうです。
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