フィナンシャル・タイムズ紙が、
“経済成長は永遠に続くか”という記事を掲載していました。
それを読みながら、今後の社会の在り方について、
いろいろと考えてしまいました。
先進国においては、
19世紀から20世紀にかけた200年間の間に、
主に化石燃料の利用による技術革新のおかげで、
それまでは人や動物の力などに頼っていた動力が、
飛躍的に大きくなったことから、
水道、エネルギー、交通をはじめとしたインフラが整備され、
ほぼ大多数の人が生きていくのに十分な物資や食料を生産し、
人々が手に入れることができるようになりました。
急激な人口増加も含め、
人類の長い歴史の流れからすると、
まさにビックバンに相当する変化でした。
しかし、20世紀の後半にかけて、
その技術革新の恩恵がほぼ全てに行き渡ったことにより、
技術革新が牽引した経済成長は陰りをみせていきました。
合せて、人間の欲が、あまりに急な開発を急ぎすぎたために、
自然破壊、環境汚染をはじめとした、
様々な問題も同時に引き起こしていきました。
そして、それに追い討ちをかけるように、
時間差でビックバンを始めた後進国から、
安い製品と人材が怒涛のごとく先進国に流れ込んでいき、
先進国の製造業のマーケットを侵食し、
人々の職を減らし、生活の安定を奪っていきました。
日本においては、さらに悪いことに、
経済成長し続けることを前提に、
官僚と政治家達が自分たちの既得権益を失うまいと、
無駄な財政支出をし続けた結果、
財政は破綻へと進み、
既に、最も大切にしなくてはならない、
国民の福祉さえも削らなければならない始末となってしまいました。
既に基本的な生活の需要を満たしている先進国では、
今後、画期的な技術革新はあっても、
それが総需要を何十年も継続的に引き上げるようなことはないでしょう。
携帯電話がスマートフォンに変わったり、
ソーシャルメディアが発達したりしても、
その程度の技術革新では、経済成長には殆ど寄与しません。
これからは、需要の質的な変化は起こりますが、
需要の増大は起こらないと考えたほうが良さそうです。
むしろ、今後、人口が減っていくに従って、
経済は確実に縮小傾向で進むでしょう。
問題は、今後の私たちの暮らしがどのようになっていくかです。
先のフィナンシャル・タイムズの記事の中で、
ノースウェスタン大学のロバート・ゴードン教授は、
経済成長しない先進国においては、
後進国からの安価な製品の輸入は今後も続き、
エリート以外の人々の生活レベルはますます低下していくだろう、
とのことでした。
このまま何も手を打たずにいると、
大企業と中小企業の格差や
エリートとそうでない人々との格差はますます広がり、
1%のお金持ちと99%の厳しい生活を余儀なくされる庶民とに、
鮮明に分かれてくることになります。
それは、もう既に現在進行形で進んでいます。
現に多くの人々の可処分所得が減少してきており、
人々は価格に非常に敏感になってきています。
少し高くても質の良い物は、売り場から減っていき、
安価な輸入品と、質を落とした安い商品の比率が高くなってきています。
輸入が増え、国内の生産が減ると、
ますます雇用は悪化して、可処分所得が減っていきます。
先進国、日本はマイナスのスパイラルに陥っています。
私たちがいったん手にした豊かさは、
いつのまにか私たちの手から滑り落ち、
経済だけでなく、暮らしの質までもが、
かなり速いスピードで低下してきています。
これを食い止め、安定的な経済と雇用を実現する方法は一つしかありません。
ある程度の保護的な貿易政策を実施しつつ、
地域循環型経済を構築して行くことです。
少なくとも、中国、南アジア、アフリカが、
先進国とほぼ対等な交易ができるようになるまでの、
今後、50年間においては必要なことと思います。
逆にTPPに参加して、自由貿易を促進させるというのは、
先の大企業とエリートのための政策であり、
99%の国民のためにはなりません。
自由貿易が善で、保護主義は悪だという、
アメリカから押し付けられた幻想は、
早く捨てるべきだと思います。
極めて調和的で、持続可能なシステムをもっている、
地球生態系のしくみを知る人からすると、
自由貿易が善で、保護貿易が悪という考えが、
間違っていることは一目瞭然です。
どのような生物も、組織も、器官も、
一定の障壁をもち、
外部との調和を図りながらも、
自己と非自己との区分のなかで、
自律的な調和を実現しています。
完全な自由貿易のように、
自分の領分からはみ出して、
自由に行き来し、好きなところで増殖するのは、
唯一、ガン細胞だけです。
ガン細胞は、いずれ全てのシステム(身体)を崩壊に導きます。
ついでながら、
アメリカや、その考え方に洗脳された、
多くの人々が抱く成功モデルは、
フェアで自由な競争を行い、
そこで勝ったものに生き残る権利が与えられるというものですが、
その考えの背後には、
自分の為なら人を犠牲にしてでもよいという考え方が、
もれなく付いていることに注意が必要です。
国家においても、
ある程度の自律性をもちながら、
国内経済とグローバル経済とを安定的に調和的に保つためには、
一定の障壁をもつ保護貿易的な政策が不可欠です。
仮にTPPを進めながら、財政支出をするなどといったら最悪です。
穴の開いたバケツに、
限られた大切な飲み水をどんどん入れているようなものです。
TPPと言えば、近いうちに総選挙がありそうですが、
どこにしようか悩みそうです。
反TPP、そして、地域循環型経済への舵きりという点では、
緑の党が近そうですが、
複雑な現実に対する実現可能な選択肢は極めて限られるはずなのに、
いろいろな提案がされすぎていて、
まだ、現実に即した政策が練られていない感じがします。
実際に前に進められる政策というものは、
調整と妥協の果てに、夢が薄れてしまった、
どこかつまらないもののように目に映りますが、
実現可能であることこそ大事です。
民主も、自民も、みんなも、維新も、
本質的には1%のエリートのための政策となってしまっています。
あえて言うならば、
1%であり続けたい官僚やメディア、経済界から嫌われながらも、
今の日本が抱える問題と、その複雑な関係を理解した上で、
99%の人(結果的には100%の人)のことを考えた政策を掲げているのは、
“国民の生活が第一”くらいでしょうか。
0コメント