「豊かさ」のバランス ~ 三側面の豊かさを考える


一般的に、
暮らしの豊かさというと、
経済的、物質的な豊かさのことを意味することがほとんどです。

その、物やお金こそ豊かさの象徴とする価値観は
世の中の空気の中にいまだ色濃く存在します。

すでに江戸時代において、
暮らしの中に占める貨幣の比率は高かったものの、
明治以降に国を挙げて西洋化をめざしてから、
共同体的な暮らしは急速に崩れ、
人々はお金がなくては暮らせなくなっていきました。

その為、
経済活動を活発化させて、
人々の懐具合を良くすることこそ、
豊かで、幸福であることの基本と考えられるようになりました。

しかし、その考え方に沿った諸活動の影で、
まるで薬の副作用のように、
多くの問題点が表面化してきました。

現代においても、
マクロな視点においては、
まだまだ経済発展をしていかないと、
社会全体の経済的な豊かさが保たれないとして、
経済優先の政策が推し進められているものの、
その一方で、
ミクロな視点で世の中を見るならば、
“豊かさ”や“幸せ”とは逆の、
様々な心理的、社会的、環境的な問題が、
いたるところから沁み出てきて、
それらは、じわじわと広まってきています。

個別の問題に対しては、
後手後手で、部分的ではありますが、
対処療法的な対応がなされてきたものの、
今のままでは、
今後も形を変えながら、いろいろな問題が出続けるはずです。

そのような不整合をいつまでも続けるわけにはいきません。

そのためには、
私たちは、物事を考えるときに、
一つの新たなルールを課すことが必須であろうと思います。

それは、物事を考える際のガイドラインとして、
これまで「経済的豊かさ」一本だったものに対し、
必ず、「精神的豊かさ」と「生態系的豊かさ」の視点を加え、
その三側面の豊かさについて、
それぞれ等しくバランスをとって検討することを、
社会のルールとして組み込むということです。

これは、サティシュ・クマールが、
物事を考えるうえで、常に、
Soil(土)、Soul(魂)、Society(社会)
の三つを考え合わせることを奨めておられることにも共通します。
それぞれ、どれに偏ってもダメです。
その三つが必ず同時に成立することが必要です。

しかしながら、
一つの視点だけの判断であれば、
比較的容易に白黒の判断ができますが、
三側面を総合的に判断するとなると、
とたんに判断は難しくなります。

じっくりと多様な人々の考えに耳を傾け、
可能な限り十分な事実に基づきながら、
真の対話を通じた合意形成を行うことが必要になります。
その、到達した答えは、
「経済的豊かさ」のみを考えていた時とは、
全く異なるものになるはずです。

「精神的豊かさ」には、
まずは、人間の基本的な欲求である、
生命の安全や基本的な暮らしが営めることによる安心感が得られ、
基本的な家族愛、或いは、それに代わる愛に満たされた、
人と人との交流のある暮らしができることが必要でしょう。
そして、社会的に基本的人権、自由、公平性が確保されていること、
さらに、前述の基本が保障された上において、
様々な創造的な活動や体験による幸福感を得られるということが、
より精神的豊かさを増していくのだと思います。

「生態系的豊かさ」には、
グローバル的には、
地球生命系が多様性と安定性と強靭さとを保つに十分な、
地球全体の自然システムが保護されることが大事でしょう。
そして、ローカル的には、
地域において健全な自然生態系を保ち、
人間と自然の共生関係が築かれていることが求められると思います。
また、
遺伝子操作作物のような、
自然生態系を破壊する可能性のあるものを自然界に持ち込むことは、
明らかに「生態系的豊かさ」を脅かす行為として、
厳しく制限をする必要があろうかと思います。

国際関係や国政においても、
或いは、地域行政やまちづくりにおいても、
さらには、企業による商品開発や生産、サービスの提供においても、
何かを計画したり、行動を起こしたりする際に、
この、経済的、精神的、生態系的豊かさの三側面を考えることは、
きっと未来においては当たり前のことになろうと思います。

きちんと三側面の豊かさを考え、実行していく国や地域から、
本当の幸せな社会が実現されていくのでしょう。

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